横浜の祭囃子・関古式囃子保存会のホームページです。

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関とお囃子


関の郷土史
●関とは・・・ (郷土史)●


関とは、現在の港南区笹下1丁目から3丁目あたりをさす昔の地名(現在はバス停がある)です。

間宮豊前守信元(小田原北条家の先手総大将)を領主とする篠笥(ささげ)城(陣屋のようなものだったらしい)の大手口が

武蔵国久良岐郷関村 ⇒(明治3年大政奉還)⇒ 神奈川県久良岐郡笹下村字関 ⇒(明治22年市町村制施行・近隣と合併)⇒ 久良岐郡日下村大字笹下 ⇒(昭和2年横浜市域拡張・市に編入)⇒ 横浜市中区笹下町大字関 ⇒(昭和18年南区新設)⇒ 南区笹下町 ⇒(昭和44年港南区新設)⇒ 港南区笹下町 ⇒(昭和52年住居表示施行・統合等再編)

という過程をへて、現在に至っています。

参考資料  関の郷土史(関町内会編)より。
        以下本ページ内、ここから引用・抜粋する。



欄間





















●関の鎮守●


足利幕府の頃より、八坂神社(天王社)が関村の総鎮守として天王谷付近の高台にて祀り崇められていたそうです。

その後、明治初期に東樹院裏山の中腹に社殿を造営して、明治42年迄祭事をしていたが、無格社であったために、政府の命により廃社となり御神体は、松本村の天照大神(神明社)に合祀され今日に至りました。

当時の祭礼は、神に対する崇敬の念がとても厚く、祭礼当日の神輿渡御の際に、「若人は不浄多し」とされて、これを担ぐのは、年令40才以上の者と定められていたそうです。そして、その者は当日の早朝に入浴をして身体を清めて、白丁(白衣にて袖長きもの)と冠を着用したそうです。

神輿渡御の行列の先頭には露払い、天狗行者、神輿の前後では世話人が紋付羽織袴着用にて威儀を正し、神主は乗馬にて従ったという事です。



港南歴史協議会のHP(横浜市港南区を中心とする周辺を含む地域の歴史・文化を調べ、互いの情報を交換し地域の人達へ広く伝えこれら歴史・文化財の記録・保存活動を推進し地域文化の発展に協力することを目的としたサイトです。)に、左の写真(関の祭の様子)が紹介されていました。
























保存会功労者












保存会発足
●関古式囃子の由来●


関村出身の安藤兼吉氏が、神田に世帯を持っていた頃(天保年間)に、囃子笛の習得をして、後年関村に帰郷をしました。

その頃の関村には、安藤重四郎(長四郎?)氏という笛の名手がいて、太鼓の安藤九十郎氏・森六兵衛両氏等とともに祭礼に結びついていたそうです。

その後(安藤兼吉氏の帰郷後から)、神田囃子の一部を取り入れて、当代の若者達を指導するようになった為に、関の囃子は、神田囃子の流れをくむようになりました。

又、(明治14.5年頃に、太鼓を習い始めた)安藤九十郎氏の次男安藤重次郎氏が、その後名打手となり盛んであった頃に、笛の安藤倉次郎氏等が、森公田村の「笛菊」氏と共に、里神楽に加わり諸所に出演して、踊りの古林政吉氏(特に狐面を得意とした)等と笹下村一帯の若者達に芸を教え広めたそうです。

・・吉田新田(現お三宮方面)には、新田吉という笛の名手がいた頃です・・

そして、大正の初期に、安藤重次郎氏を太鼓の師として、「笛菊」氏を笛の師として稽古を始めました。

大正7.8年頃には、安藤喜三郎氏が、東京下洗足に住む、洗足万という笛の師匠(鈴木萬蔵氏?)を招聘し、奥伝を習得しました。

戦争等による厳しい時代をへて、昭和24年頃青年会メンバー20数名が、宮大工・山室佳助氏方の物置で指導を受けて、その後のお囃子を大きく盛り上げました。

・・・町内会も青少年の情操教育の視点から尽力して下さいました。・・・

その後、鈴木喜三郎氏が笛の習得途上において、師の安藤喜三郎氏が故人となりしため、一部習得し得なかったものを戸部神楽笛の師、海老塚敏昭(敏男?)氏を招き研修する事により、完成を得ました。

この笛を基として、太鼓の山室金太郎氏と踊りの安藤長吉氏が、前記の海老塚敏昭氏等の協力を得て、代々口伝により伝承されてきた囃子等を後世に完全に保存するため、稽古本の編纂をしました。(昭和34年2月)

・・・昭和37年より少年部を設け子供達に親しんでもらい
昭和38年には、NHKの放送や教育雑誌の学研でも紹介されたそうです。(広報こうなん記事)・・・

これを基にして、昭和42年5月に、関古式囃子保存会が創設されました。
認定証
●横浜市無形民俗文化財認定●


現在の関古式囃子保存会は、横浜市教育委員会から横浜市域に存する地域の伝統的な無形の文化的所産を継承する保護団体のうち、後継者の育成及びその文化財の保存継承熱意があり、活動実績のある団体として選定され、横浜市無形民俗文化財に認定していただいております。

今後もこれをはげみとして、その活動を次世代に継承して行きたいと考えております。
矢部野のころ
●矢部野について●


現在の横浜市磯子区洋光台3丁目は、かつて矢部野と言われていました。

江戸時代(元禄1688年〜1703年)の頃、矢部野・田中・栗木・峰を笹下上郷と呼び、松本・関・雑色を笹下下郷と呼びました。

以降 ⇒ 明治22年町村制施行・日野郷と笹下郷が合わさる(久良岐郡日下村大字矢部野) ⇒ 昭和2年横浜市編入(磯子区矢部野町) ⇒ 昭和45年洋光台団地の造成により磯子区洋光台3丁目となりました。

又、明治初期頃から金山神社を鎮守として、矢部野囃子が代々伝承されてきました。

戦時中衰退してしまったこの囃子は、鈴木喜三郎氏の指導の下に再興したのち、昭和48年関古式囃子保存会と合併して現在に、いたっています。

毎年9月23日の祭礼には、会員一同こぞって参加しております。

(矢部野の頃・参照)



追記 



弘明寺観音の境内に、明治時代の名人「大谷久蔵氏」の顕彰碑(明治43年5月建立)があり背面に、「久良岐郡ヤベノ囃子連」と「仝笹下囃子連」との記載があります。



「仝笹下囃子連」とは、おそらく「関古式囃子」の先人達だと思われます。



「大谷久蔵氏」については、「六ッ川大池囃子」さんのHPにも記載があります。

港南の歴史
●日野の神田囃子●


引越村(現南区六ッ川)の「笛寅」こと青木寅吉氏に、神田囃子を師事した寺田善兵衛氏(保土ヶ谷区和田町生まれ)が、江戸末期から明治にかけて日野町に神田囃子を伝えたそうです。

善兵衛氏に囃子を伝授された門人は、地元はもとより鎌倉・大船・戸塚・磯子方面におよび百数拾名にのぼるそうでこの功績をたたえた報恩碑が、門人により春日神社の境内にたてられています。


(港南の歴史・参照)